“栄光の400番”は今年もパリ・ダカへ
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| 菅原 義正さん
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東京・恵比寿に菅原義正さんが経営する日本レーシングマネージメントを訪ねると、あたりを圧する“カミオン”がズドーンと道路際にそびえ立っている。空を見上げるような大きさだ。
“カミオン”は、フランス語でトラックという意味。パリ・ダカール・ラリーのカミオン・クラスに出場しているマシンだ。脚立を使って運転席によじ登ると、“2階席”から見える風景にいつまでも馴染めなかった。
「もしヨーロッパだったら、この“クルマ”を置いておくだけで人だかりがして、質問責めにあうだろうね。でも、ここじゃ気がつかないような顔をして通り過ぎるだけ
…」。
ちょっと寂しそうに笑う菅原さんは昭和16年生まれ。あと3年で還暦を迎える。しかし、今でも世界に名をはせるトップドライバーであることは、彼がパリ・ダカでつけるゼッケンナンバー「400番」が示す。これはカミオンのナンバーワンシードである。
菅原さんは大学の“自動車部”を卒業すると同時に金融業を自営し、サーキット・レースを楽しんでいた。毎週末、サーキットへ通い、ホンダS6、ミニクーパーなどを駆った。
「ワークスをやっつけるのが楽しみだった」。
やがて金融業をやめ、レースのマネジメント業である現在の会社を設立した。菅原さんの興味はサーキットの外のほうへと向いていく。それが決定的になったのはパリ・ダカだった。ヨーロッパからアフリカまで国境をいくつも越えて走るレースに心が動いた。
「1983年に第5回のパリ・ダカール・ラリーにオートバイで出ました。当時はレギュレーションもフランス語しかない。会議も書類も全部フランス語で参った。自分のゼッケン36番を『トラント・シス』と読むことだけ覚えてタンクの上にカタカナで書き、スタートに遅れないように気をつけた。それでもほかの選手から『スガワラ、お前のスタートだ。番号が呼ばれてる』って(笑)」。
この年、彼はレース中に転倒して右足首を骨折した。それでもチェックポイントをめざして走り続けると、夜に入って右側に転倒し、今度は足首の関節を圧迫骨折してしまった。動けなくなった彼は発信器でSOSを出し、翌日の昼ごろに助けられたという。
普通は懲りそうなものだが、彼は翌年も二輪で出場。さらにこの年、日本人としては初めて第3回ファラオラリーに軽トラのホンダ・アクティで出て、最小排気量完走賞を受賞。翌85年には夏木陽介さんが彼のチームに入って、パジェロでパリ・ダカに出場
…。パリ・ダカ出場は日本人最多の16回(完走12回)、ファラオラリー出場6回(完走5回)、パリ・北京ラリー出場1回(完走)…。
菅原さんにとってパリ・ダカの魅力とは何なのだろうか。
「むずかしさが楽しさになってますね。出場者はレースが始まる1年前から、コースのある国に入ってはいけないことになっています。つまり下見ができません。だからナビゲーターの優秀性、ドライバーの能力、クルマをどれだけ知っていて壊れた所を自力で直すことができるかという修復能力が試される。一番長いSSで950kmもあるんです。15時間も走り続けなければならない。われわれは土地勘があるから、あと何百km行けば井戸があるとか、どの村に着くことができるとかがわかる。それはサーキットにないおもしろさですね」。
カミオンはドライビングもむずかしい。 「普通のクルマならブレーキを踏みそうなオフロードでも、時速160kmで走れますが、2分に1回、転倒しそうになる。自重が8tもあるので、倒れたらもう起こせない。タイヤの空気圧はナビゲーターがボタンひとつで調節することができるんですが、ハンドルを切ってから3テンポぐらい遅れてやっと曲がるくらい、切れるのが遅いんです……」。
菅原さんは85年からクルマに目印として鯉のぼりをつけていた。91年12月のパリ・ダカから、日野クルージングレンジャーでカミオン部門出場。規約ではシルエットが生産車と同じでなければならない。当然、鯉のぼりは規約に反する。車検のとき、彼は聞いた。
「鯉のぼりは取りますか?」。
「いや。これを取ったら、お前かどうかわからないから、つけといていい」。
菅原さんの実績とシンボルマークをよく知っていての検査員の計らいだった。そんなパリ・ダカが菅原さんにはうれしい。リタイアするクルマが半分以上も出るなかで、93年からずっとカミオン部門総合準優勝、あるいはクラス1位に君臨し、97年は排気量10r以下のクラスでありながら上のクラスを食って、日野をカミオン史上初の1−2−3フィニッシュへと導いた。

▲1997年パリ・ダカール・ラリーで砂漠を駆ける“栄光の400番”
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「海外の社員数千人規模のトラックメーカーや、歴史100年のトラックメーカーが技術を結集してワークス態勢をとってきても、たった5人のわれわれのカミオンに勝てない。何日も砂漠の上で過ごすイコール・コンディションで戦いながら、1日に950km走ってこちらのほうが13秒速かった、そんなふうに結果がはっきり出るところが楽しい」。
彼のガレージがあるフランスの地方紙には、「スガワラが日本から今年も来た」「スガワラがパリ・ダカに出かけていく」と写真入りの記事が載る。いや、パリ・ダカのテレビ中継で“鯉のぼり”のついたカミオンを見たいというファンは、世界中にいることだろう。
| すがわら よしまさ:1941年、北海道生まれ。83年、パリ・ダカール・ラリーに二輪で出場以来4WDクロカン、カミオンと全種目を経験。日野ライジングレンジャーで94、95年カミオン総合部門2位、96年カミオン部門クラス1優勝。以後“チームスガワラ”としてプライベート出場、98年は総合部門2位。日本レーシングマネージメント(株)代表取締役。
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