特集/自動車とヤングマーケット
現代若者考
橘川 幸夫〔(株)デジタルメディア研究所 代表〕
1.世代断層
戦争を知っている世代はすでに世のなかの一線を引き、戦後社会を築いてきた団塊の世代も老後を迎えようとしている。ミック・ジャガーにもポール・マッカートニーにも孫がいるような、そんな時代だ。
現代の若者たちのライフスタイルの本質は、現象だけを微細に追っても何も見えてこない。街を歩く金色や銀色の髪をした子どもたちや、センスの良いファッションを着こなす若夫婦たちの歩く姿を、ビルの屋上から、あるいはヘリコプターに乗って空の上から眺めてみよう。
大雑把に現代を生きる人たちを世代でくくると、次のようになる。
- 戦争世代(戦争体験者。自分たちの戦争体験に、ある種の自信を持っている)…70歳以上
- 焼け跡世代(戦争中に生まれたか、子どもだったので、直接戦争には参加しなかった世代。戦争よりも、戦争直後の飢餓状況が原点となる)…60歳代
- 団塊の世代(戦後の混乱期に生まれた世代。良くも悪くも戦後カルチャーの先端であり中心であり、60年代の後期から70年代初期を原点としている人が多い)…50歳代
- 新人類世代(団塊の世代の下の世代。学生運動にも戦後カルチャーにも乗り遅れている。自分の世界にこもる“おたく化”の始まり)…30〜40歳代
- 団塊Jr(団塊の世代の子どもたち。友達親子の関係が多い)…20歳代
- 新人類Jr(新人類世代の子どもたち)…10歳代
こうしてみると、はっきりと繰り返しになっていることがわかる。つまり、「戦争世代」と「団塊世代」は親子関係であり、「焼け跡世代」と「新人類世代」は親子関係である。戦争世代は、戦争を戦ったことの自負があり、団塊世代は、戦後のある意味では戦争を戦った自負がある。焼け跡世代と新人類世代には、いずれも、兄貴たちが真正面から戦った歴史に乗り遅れたコンプレックスとニヒリズムがある。
団塊Jrや新人類Jrになると、親の世代がさまざまなので、必ずしも親子関係の世代別比較ができなくなっているが、戦争世代から新人類世代までは、はっきりと世代意識に投影されていることがわかる。歴史というものが、前の世代に対する反発をエネルギーとして進むものならば、戦後50年という時代は、歴史の法則をそのまま進んできたのかもしれない。
2.世代がなくなる
(コアレス・ジェネレーション)
新人類世代までが、私たちが「世代」として認識できる最後の世代であろう。新人類世代は、団塊の世代の大げさな社会批判や、思わせぶりな態度に、半ば軽蔑し半ば憧れていた。そして、その反発を自らの内側に向けることによって、独自のライフスタイルをつかもうとしたのだと思う。言ってみれば、それまでの人間は社会的人間であったのに対して、新人類と呼ばれた世代が、初めてこの国で「個人」と呼ばれるものを体現しようとしたのだと思う。それは、現象的には、それまでの社会秩序からは逸脱し、旧人類からはあきれられ、「おたく」と呼ばれる極端な“個人閉じこもり運動”にもなった。
しかし、その後の若者たちの流れをみていけば、新人類世代がトライしたことが、当たり前のように社会に浸透していった。今の若者は、何かしらの「おたく」である。しかも、それは「おたく」であることを意識することもなく、自閉することもなく、むやみに明るいオープンな「おたく」である。
さて、新人類世代までは世代間落差というものが明確であり、その後は、世代意識というものが希薄になっているようにみえる。戦争は、民族を強烈な一体感でまとめてしまうので、共通の戦争体験は、同世代に対して下の世代では想像がつかないほどの連帯感に結びつくのだろう。戦争の影響がまったくなくなった新人類以降には、世代という感覚そのものがないように思う。
世代とは、原体験の共有化である。青年のころ、戦争のまっただ中にいた者同士は、同じ体験と過去を持つ。学生のころ、学生運動のまっただ中にいたとしたら、活動家だろうとノンポリだろうと共通の話題を持つ。しかし新人類以後は、このような世代に共通する体験というものがなくなってきている。
なぜか。それは、戦後社会の復興・成熟とともに発展したメディアの爆発的な普及に原因があると思う。かつて世代論が交わされていた時代は、その世代特有の状況や、自我の成長期に重要な影響を与える事件があった。しかしTVが発達してからというもの、体験とはTVによるものになったのである。それでもTVの初期のころであれば「白馬童子」を見た世代とか、「不思議な少年」を見た世代とかいうのがあったけれど、ウルトラマン以後は、何度も再放送するので、確かに子どものころに見たけれど、それが本放送なのか再放送なのかわからなくなっている。ある世代が固有に体験した共通のテーマというものがなくなってから、世代というものも成立しなくなったと思う。
現代とは“体験”を失った時代なのである。すべてが情報的に送られてきて、それが再生産される。コアになるべき体験をスタートラインにして人生を出発するのが旧来の人間の生き方だとしたら、現代の若者は、スタートラインもなく、いきなり情報のるつぼに出現した存在である。体験すべき過去も、到達すべき未来もなく、一瞬一瞬の今しかないデジタルな時代が21世紀という時代だとしたら、まさに現代の若者は、そうした時代へ向けてライフスタイルを変身させてしまったと言えよう。
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