駐在員・見てある記
India・Now
貴重な経験-Diamond
Experience
竹村 章敏[トヨタキルロスカ自動車 マーケティング部 副部長]
多様性に富むインド
──Diversified India
飛行機に乗って2時間半、私は国内出張のため機中の人である。北インドに位置する首都デリーに降り立つと、私が勤めるトヨタキルロスカ自動車(TKM)が位置する南インドの都市バンガロールとの違いにいつもながら愕然とさせられる。
街の看板の文字はまったく異なり、喧騒を歩く人々の言葉・肌の色も違い、気温は10度以上も暑く、主食も米食から麦食(ナン、チャパティといったインドのパン)へ変わり、人々の価値観・習慣・文化も明らかに異なる。
われわれ日本人からしてみると、インドに住む人はインド人ということになるが、こちらに住む人にとってはインドという国家に対する帰属意識よりも、まずは、どの州のどのコミュニティに属するかである。
アウトサイダーである私が言うのもおかしな話であるが、2年半、南インドのカルナタカ州の州都バンガロールに住んでいるため、多少はカンナダ(カルナタカ州の人)的思考に染まっていると思う。事実、国内出張からバンガロールに帰ってくると、ホッとする。
以下、自分のインド駐在経験についてまとめるが、きっとデリー、ボンベイに住んでいる駐在員の方とは意見を異にすることになるだろう。そのへんを考慮して読んでいただけるとたいへんありがたい。
激変するバンガロール
──Dynamic Bangalore
赴任時に初めて飛行場に降り立ち、暗い地方の駅舎のようなターミナルへ駐機場を渡って歩いて行ったときは、たいへんな所に来てしまったなと思ったことをはっきりと覚えている。
しかし今では様相が一変し、飛行機から綺麗なターミナルへ直接歩いて入ることができる。インドのシリコンバレーと言われ、ソフトウエア開発等のIT産業を中心にサービス業が急伸、活況を呈している。
外国企業・在外インド人の投資により、日々新しいソフトウエア企業が生まれている。おもしろいことに、これらダイナミズムを中心となって支えるのは、外国人を含む非カンナダ人であり、大半のカンナダ人は保守的で昔ながらの業種をのんびりと営んでいる。
では、なぜ広いインドの中からバンガロールがシリコンバレーとして選ばれたかというと、軽井沢のような高原気候、英語を話せる優秀な技術者を育む教育制度、州政府の強力な誘致、そして何よりもアウトサイダーに対して寛大な、街自体が持つコスモポリタン的な雰囲気だろう。森首相も今年の8月に来訪し、日本からの関心も日々高まりつつあり、商工会議所ミッションの訪問も計画されており、ますますの発展が期待できよう。
伸びる自動車市場
──Driving Market
13社。現在インドにある自動車メーカーの数字である。1991年の経済自由化以降、わずか81万台(99年)の総市場に対し、民族資本・海外資本のメーカーが競って進出、凌ぎを削っているのが実情だ。2000年に遅れて進出した弊社に対し、GM、フォード、ダイムラークライスラー各グループは90年代中盤から、韓国車メーカーも大規模工場を構え、この2〜3年で市場は倍に膨れ上がり、まさに世界自動車市場競争の縮図と言えよう。
わずか数年前、車といえば高級品で庶民に手が届かない代物であったため、市場規模も小さく、軽自動車か60年代デザインの英国車に限られていたのがうそのようだ。
都市部の主要幹線道路に目を向けると、100万円前後の真新しい、新世代デザインの小型車がよく目につく。1人当たりGDP、個人可処分所得等の統計値ではとても車を買えるような数値を示していないにもかかわらず、2001年には総市場が年間100万台の大台を超える見込みである。人口10億人のポテンシャル、経済統計に表れにくい富裕層の在外資産、新富裕層としてのIT長者、割賦・下取り販売等販売環境の整備による買いやすさの進展により中長期的には年率7〜8%の底堅い成長が予想され、先が楽しみといえよう。
私が勤めるTKMは、98年6月に定礎、99年12月から生産、2000年1月より販売を開始した会社で、バンガロールから南西に30km(車で約1時間)離れたビダディに工場・本社をともに構える非常に若い会社である。
山崎社長以下、そこに働く1,450人の従業員も若く、平均年齢は24歳。現在販売しているのは1車種、150〜200万円する8〜10人乗りの多目的用途車クオリスで、今年の販売計画は2万台、将来5万台をめざす。9月末現在、23都市26ディーラーを展開、それぞれ3S(SALES・SERVICE・SPEAR PARTS)機能を集約した拠点を構える。
遥かなる挑戦
――Dream Challenge
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| “戦友”(インド人スタッフ)とともに(右端が筆者)
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文章にすると短いが、ここまでに挙げた内容は、私が赴任した98年にまったく存在しなかったのである。まさにゼロスタートであり、ここまでの道程は長く、また立ち上げ準備に許された時間は非常に短く、問題も山積みであった。
全土を回ってのディーラー候補者の選定、販売ネットワークの仕組みづくり、現地人材の採用と教育、マーケティング戦略の提案と実行等々、すべての業務が未知との遭遇の要因をはらんでいた。数々の失敗と原因追求と対策に追われた。
とりわけ立ち上がり時に苦労したのがスケジュールどおりに業務を進めることである。インド人は各局面での個人的資質には目を見張るものがあるものの、われわれと違って計画・実行・分析・再実行といった戦略的なステップを踏むのはどうも苦手のように思える。口うるさく、紙に図解しながらの教育は、たいへん体力を使ったものの、私自身の対人プレゼンOJTになった。
また、最も立ち上げ業務で苦労したものとしては、完成車両物流システムである。品質を確保した定時輸送をめざしていたものの、最初の3ヵ月は度重なる到着遅延、果てにはディーラーに着いた車の形が原型をとどめていないものまで出る始末だった。再三のトライアルによって決めた物流ルートの変更、当時運行計画が不安定なためタブー視されていた長距離ルートの貨車輸送への切り替え等の思い切った対策により、なんとか安定化させることができた。
怒涛の立ち上げから9ヵ月、最近は街を颯爽と走るクオリスの数が目立ち始め、たくさんのお客様から好評を持って迎え入れられ、充実感を味わっている一方、次世代へ向けたオペレーションの拡張といった新しい課題に取り組み始めている。
勤勉な人々
――Diligent People
この立ち上がりの厳しい業務を支えたのは、日本からの支援に加え、新規に採用、OJT教育したインド人スタッフである。私のマーケティング室には、インド全土から採用した24人の戦友が日々働いている。週6日、定時8時間に加えて通勤時間3時間と長い拘束時間にもかかわらず、一生懸命に働く。
また、締め切り業務が終わらないと残業する責任感が強い者が大半で、どれだけ救われたことか。何かを学び取ろうとする姿勢を持つ者も過半数で、将来が楽しみだ。彼らは皆MBAを持つインテリ層に属し、まさにTKMの、インド実業界の未来を背負って立つ世代である。勤勉、英語堪能、業務経験豊富、MBA資格を持つ彼等こそ、グローバル市場で通用する人材になり得る可能性を多いに秘めている。トヨタ自動車の他、海外事業体への出向も夢ではない?
われわれ日本人もウカウカしていられない! インドの有能な人材とのグローバルコンペティション時代に備え、われわれ20代若手もどんどん世界へ出て切磋琢磨する必要があると切に実感する。
ありがとう
――Da-nyawa-do(ヒンディー語)
最初の海外事業体への出向としてこのようなマネジメント現場を経験し、得るものは非常に多かった。私の体験してきた出来事は、生まれたばかりのTKMにとっても初めてのものであり、貴重なもので、まさに“Diamond
Experience”と言えよう。TKMがさらに成長し、いつの日かさまざまなカーライフをインド社会へ提案し、経済へ貢献していくことを切に願いつつ、このレポートの筆を置きたい。
最後に誌面を借りて、これだけの規模のプロジェクトに参加させてもらったことと、数々のサポートをしてくださった関係各位皆様にお礼を申し上げたい。
“Da-nyawa-do″、ありがとうございました。
(たけむら あきとし)