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「モノづくりの現場から」に関するご意見・ご要望などございましたら、(社)日本自動車工業会広報室(Tel:03-5405-6119 Fax:03-5405-6136)までお寄せください。

モノづくりの現場から -第29回-

たゆまぬ“工夫とトライ”が、今の自分を創り上げた
〜板金、プレス、溶接、塗装と車体修正の技能を体得した熟練の匠〜

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スズキ株式会社 第一生産技術部
研修・SPS指導グループ
小野田 唯雄(おのだ ただお)

プロフィール:昭和38年8月、鈴木自動車工業(株)(現スズキ(株))に入社、本社工場で仕上板金修正。42年、磐田工場車体課に異動し、完成車板金修正。46年、湖西工場車体課で完成車板金修正。57年に班長に、63年に組長に昇進。国内外の生産現場における溶接仕上・板金修理等の管理指導業務に従事し、平成13年、定年を迎えるも再雇用。16年、海外業務部研修グループ(現第一生産技術部研修・SPS指導グループ)。海外工場指導等を続けながら、現在に至る。資格免許として、プレス機械主任、四級小型船舶。

海外での技能教育に飛び回る

 小野田唯雄氏がスズキ(株)(当時は鈴木自動車工業(株))に入社したのは、昭和38年。奇しくもその年は、鈴鹿サーキットの国際レーシング・コースで行われた第1回日本グランプリ自動車レースにスズライト・フロンテ・FEAが出場し、軽四輪部門で1位・2位・4位と上位を占めた年でもあった。
 昭和30年代のハンドワーク時代の自動車生産の現場から経験し、スズキに入社する前も含めれば約50年にもなろうというその職業経験は、まさに自動車生産の生き字引的存在である。そこに蓄えられた知識と技能が、約30年前から世界各国での新機種製造の立ち上げどきになくてはならない存在になった。
「9ヵ国の新機種製造の立ち上げに立ち会ってきました。最初は27年前のインドネシアの部品工場です。当時はプレス技術も高いものはなく、ハンドワークが中心でした。鉄板を切り出して、そのフランジを曲げること。今でこそ機械一発でヘミングをやるのですが、当時はあて板とハンマーで曲面を作り出していました。ルーフの溶接も、まだスポット溶接はなくアセチレン溶接で対応していました」。
 自動車を作るうえで、プレスには細かなキズなどがつき物である。現在は、その修正や手直しも指導している。
「国内では自動化が進み、鉄板にキズは出なくなりましたが、インドネシア、中国、ベトナム、ミャンマーといった自動車製造の後発国では、台数的には少ないので、人間がハンドワークでスポット溶接を打ったりするため、打ち込みとかガンの当たりといったダメージがどうしても出ます」。
 それを手直しして製品にするという、いわば現地従業員の育成をするために世界各国へ出かけていくのが、小野田氏のメインの仕事だ。

「やって見せ、やらせてみて」が現場の基本

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後輩にコツを伝える小野田氏

 現地で工場ライン立ち上げの際には、初歩からスズキ・デント・リペアの基本を指導している。口頭だけで説明しても身につかないので、絵に描いたり、パネルにしたりして、指導をしてきた。
「部品交換とか、ドアを交換するのとは違って、一日二日では凹みは手直しできるものではありません。ややもすると、余計にひどくなってしまったり……。廃棄するパネルを練習台として使って基本を覚えてもらいます。また“君たちは若いんだから、すぐ技術は習得できる。頑張れ”と、おだてる部分もあるのです」。
 現地では通訳が付いてくれるので、会話はそれほど苦労をしない。ときには、手真似とかジェスチャーも大事な意思伝達の手段となる。また現地の従業員も、日本へ研修に来ていることもあるので、片言の日本語ならわかる場合もある。
「専門的なことを言われると少しむずかしいのですが、われわれ現場で指導する立場の人間としては、“やって見せ、やらせてみて……”が基本ですから、意思疎通はそれほど困難にはなりません」。
 また、性格的に素直でないと、こういった仕事はできない。集中的に仕事を遂行できる人が、望ましいとも言う。
「ただひとつ問題となるのは、前回あれほどまでに一生懸命教えてあげた従業員が、その会社を退職してしまっているときですね。また1から別の従業員に教え込まないといけない」と少し口惜しそうな顔になる同氏。

現地従業員との信頼づくり

「現地従業員は、こちらにも作業を見せてほしいと言います。それをやらないでいると信用をなくします。この4月もインドネシアで、プレスのシワや亀裂を実際に直して見せました。彼らもこちらの作業をじっと見ていました。ここで信頼を形作ることができれば、あとの指示や頼みごとなどもスムーズに運びます」。
 一般的な教育であれば、口頭だけでの指示も可能だろうが、現場は現実に作業を行うところ。実際に技能を身につけた自分がやって見せることこそ、大事だという。海外工場では、まだハンドワーク的な作業工程も残されていて、小野田氏の技能も存分に発揮される。
「最近では表板の厚さも1ミリ以下のものが当たり前になってきましたから、やすりやサンダーでは鋼板がペコペコになる恐れがあり、ペーパーやすりと砥石で板金の強度を保ちながらの修正も試みています」。
 とある海外工場では、蓋もののパネルが外に放置してあり、その電着塗装も剥げてきて変色し始めていた。聞けば、「またオーダーしてあるから、放っておいていい」という。“でも、もったいないではないか”との思いを強くした小野田氏。結局、現地従業員といっしょにそのパネルの焼付塗装を行い、再生してしまった。
「本来は、他の仕事で行ったんですが……」と小野田氏は笑う。小野田氏の真骨頂が発揮されたわけだ。この真面目な姿勢もあって、同氏には海外からのオファーが引きもきらずにかかる。性格的にも好かれているのだ。

“工夫とトライ”で自分を創った

 「昔の話ですから、何でもやらされましたよ」そう笑ってあまり多くを語ろうとしない小野田氏。
「例えば、鉄板を雑型に鉄バサミで切って、それを治具にはめて、フェンダーとかフランジ、ボンネット、フードの製作をやりました。アセチレン溶接も、ボンベの中にガスが入っているのではなく、当時はカーバイトと水を調合してアセチレンを作っていました。私たち若い従業員は先輩に命じられてその交換に行って、カーバイトを入れたりカスを取ったり……。先輩の命令には絶対服従というのが、現場の不文律でしたから。口答えなど一切できなかった時代でしたね」
 板金、プレス、溶接、塗装と、ほとんどの車体関係の技能を習得、それも熟練技能者にまで上り詰めた。入社した当時は、フロントガラスも一台一台ベニヤ板で型を取って、それから硝子店に注文を出してはめていた、本当に手作業の時代。「見て覚えろ」とは言われたものの、いくら見ていたって、そう簡単に覚えられるものではない。
「昼休みなど休み時間を使って、工具の使い方を覚えたり、また廃棄するパネルで何回も練習して板金の技能を身につけていきました」。
 “工夫とトライ”、何をおいてもこのふたつが職人としての自分を支えてきたと小野田氏。

犬にも挨拶をするジョギングが趣味

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インドネシアの独立記念塔の前で。

 ジョギングは朝4時に起きて走る。家に戻って、腹筋とダンベル。海外に行けば、ホテルの駐車場や寮の芝生を走る。
「自分の健康管理の一環として完全に身についてしまっていますね」。
 23、24のころから始めたというが、27年前にはインドネシアのジャカルタ・フルマラソン大会で優勝(タイムは2時間54分)もしている。そして自分ではマラソン中毒ですと謙遜をする。朝のジョギング道中では、散策などをしている顔馴染みの人とは必ず挨拶を交わす。しかも、小野田さんから先に。ときには、散歩中の犬にも挨拶をするとか。
 マラソンしかり、仕事もしかり、小野田さんはスズキにおける鉄人と言えるだろう。その同氏が次の言葉でご自身の仕事観を表してくれた。
「現場で現物を見て、対応を考える。私には現場しかありませんから」。

[この人の、ここに注目]

 海外工場で小野田さんが現地従業員に板金、溶接技能を指導している場に出会うことがあります。
 小野田さんの指導方法ですばらしいところは、自分でやって見せる、相手に見せたうえで、「俺でもできるんだからお前もできる、やってみろ」と励まし、実際にやらせてみるところです。そして、繰り返し、繰り返し、納得いくまで丁寧に指導するその姿には、小野田さんの温かい人間性も感じられます。
 海外指導員のなかには、相手がなかなか思い通りにできないと短気を起こす者もいますが、小野田さんの指導は常に親切丁寧で、自分の技能を海外工場の人に伝承するために一生懸命になっている姿は、他の者の模範となります。まだまだスズキのために頑張って欲しいと思います。

(第一生産技術部 研修・SPS指導グループ  鶴見恵助氏)

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