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特集 軽自動車、その歴史と魅力

軽自動車の歴史を振り返る

小関 和夫[モータージャーナリスト]

1.軽自動車のはじまり

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1956年:軽商用車の先駆モデルスズライト・ライト・バン
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1957年:軽三輪の存在をアピールしたホープスター
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1957年:FRPモノコックボディのフジキャビン125cc
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1957年:街のヘリコプターとPRされたダイハツ・ミゼット

 軽自動車は1949(昭和24)年7月、それまでの小型自動車第4種が分離され誕生した。戦後の復興期で当初はスクーターが多かったが、翌50年に軽3輪及び四輪の規格が制定された。54年4月、日比谷公園で開催された第1回全日本自動車ショウには、黎明期の軽自動車が一堂に集結。三輪はバイクの後部に荷台を持たせた大宮富士(後の富士重工)製ダイナスター、前一輪駆動の光栄工業製ライトポニー、ホープ自動車のホープスターなど。四輪は住之江製作所製のフライングフェザーが展示され2座オープンの姿が注目の的に。自動車ガイドブックには、日本初の軽自動車とされるオートサンダルも掲載されたが、月産1〜2台で生産したら即販売したためサンプル車がなく、ショー会場に実車がなかった。軽自動車は二、三、四輪ともに人気があり、工場前では販売店主が完成を待つほどで、だれもが自動車を欲した時代だった。
 自動車はエンジン、車体の製作に大別されるが、黎明期の軽自動車用エンジンは小型車のエンジン部品を利用して設計されたり、農発用の汎用エンジンを購入して、自作の車体に搭載して製品にする例が少なくなかった。当時の自動車は故障して当たり前の時代で、修理する際の部品調達も重要な購入動機となった。販売先も当初は工場周辺の商店などだったが、広告などにより全国販売網が確立できるようになってくると「どこでも部品が入手でき修理できる」ことも重要なファクターとなった。
 ショーの後に、バイクモーターで成功した鈴木自動車が四輪のスズライトを試作、55年に乗用車、ライト・バン、ピックアップ、デリバリバンとラインナップを普通車並みに揃え、翌年の自動車ショーに展示して関係者を驚かせた。だが時代的に盛業中の商店でもバイクモーターを購入するのがやっとで、一般の人にとって軽自動車はまだ手の届かぬ高嶺の花であった。
 57年には前二輪の三輪乗用車フジキャビンが125ccで登場、普及が期待されたがFRPモノコックボディの製造が困難で、消え去る運命にあった。同時期に誕生したダイハツ・ミゼットが大ヒット、小径タイヤによる愛くるしいデザイン、軽二輪並みの価格により商店街に普及を見せ、世の中に軽三輪の存在を広く知られていくことになる。この時期は小型三輪がバイク的なバーハンドルから四輪同様の丸ハンドル採用時代を迎えており軽三輪にも波及、マツダK360、三菱レオなどが登場するに至り、軽自動車には普通車並みの機能が要求されていくことになる。

2.軽自動車、時代ごとの名車たち

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1958年:航空機技術を活かしたモノコックボディのスバル360
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1960年:価格革命の先駆、30万円のマツダR360クーペ
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1966年:高出力・低価格で登場したホンダN360
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1968年:フルキャブ仕様で荷台長を競って登場の三菱ミニキャブ
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1968年:高出力水冷エンジンで登場したダイハツ・フェローSS
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1970年:レジャーに威力を発揮した4輪駆動のスズキ・ジムニー

 60年前後には小型三輪トラックから安価な小型四輪トラックへの代替需要があり、これを痛感していた三輪メーカーは小型四輪への製造転換を図っていたため、おのずと軽三輪も軽四輪への代替需要に対応させていくことになった。
 ダイハツはミゼットからハイゼットへ、マツダもK360からB360へ、三菱もレオから三菱360へ、ホープスターはユニカーへ、愛知機械のコニーはコニー360へ、スズライトもライトバンSLに集約、小型三輪の老舗くろがねもキャブオーバー型のベビーKB360を投入するなど、個性溢れる各社の軽四輪商用車が一斉に出揃う。またダイナスターの後に三輪ラビットを少量生産していた富士重工は、大人4人がゆったり乗れるスバル360を58年に発売、軽乗用車の存在も広く世間に知られるようになった。
 軽乗用車の登場は、小型の中古車を購入していたサラリーマンの憧れとなった。この需要に着目して60年に登場したのがマツダR360クーペ。新聞の全国版広告で価格30万円をアピール、女性用に32万円のオートマ車も揃えての画期的デビューだった。小型自動車も普及をみせ、軽四輪も白タイヤや2トーン内装類装備の豪華なデラックス型が加わっていく。
 スズキはスズライトの新型TLをベースに62年、フロンテTLAを発売、三菱も商用車360を乗用車フォルムにしてミニカを翌年に投入、全社の乗用車が揃う。
 普及の一途にあり激化する軽乗用車では、小型車並みの乗り味をと水冷4気筒エンジンを搭載、4ドアモデルも揃えたマツダ・キャロルが57年に誕生するに至り、ユーザーサイドから軽自動車も小型車並みの質感が求められるようになる。
 二輪及び四輪の世界グランプリに初出場したホンダは、セミキャブ仕様のT360トラックをDOHC4気筒の高性能で発売、他社製より高価だったため購入者が限られた。このため二輪車用空冷4サイクル2気筒エンジンを軽四輪用に仕立て66年にホンダN360を発表。高性能と31万3,000円の低価格を打ち出し、バイクユーザーや若者の人気をとらえるに至り、軽四のトップメーカーとなっていく。商用車ハイゼットのみを生産続けてきたダイハツも軽乗用車時代到来を考察、水冷2サイクル2気筒エンジンを開発、初の乗用車フェローを66年に投入。
 軽トラックも変化を見せた。61年登場のスズキ・キャリイFBは短いボンネットを持つセミキャブ仕様だった。だが最大の荷台を求めてフルキャブ車の市場要求が活発化、まずリアエンジン車のスバル・サンバーが登場。その後は小型トラック同様のシート下エンジン車が増加、ホープスターOV型が翌年、64年にダイハツがハイゼットキャブを、66年にスズキもキャリイにフルキャブを追加、さらには三菱ミニキャブが誕生、ホンダもT360をTN360に代替した。
 国産乗用車の転機となったのが63年5月に開催の第1回日本グランプリ以降で、TV放映されたことから、ほとんどのメーカーが毎年のレースに参戦するようになった。レースファンやこだわりの自動車マニアに向け各社からスポーツセダンが生み出されたが、軽乗用車も例外でなかった。グランプリの場、鈴鹿サーキットを提供したホンダは68年にN360Sを登場させたことで、同年の東京モーターショーまでにダイハツ・フェローSS、スバル・ヤングSSなどの2気筒車勢に加え、2サイクル3気筒を搭載したスズキ・フロンテSSなどが出揃うことになる。
 軽の高性能車たちが出揃い、ユーザーたちが各地のサーキットでミニカーレースを開催、エアロスタイルに改造したマシンたちが走った。この状況を見て、軽の設計者たちは耐久性のある水冷エンジン開発とスタイリングに力を入れていき、1970年代に向けて続々と新型車を開発、発表していく。
 69年秋の三菱ミニカ70を筆頭に、翌年はダイハツ・フェローMAX、ホンダZ、71年にスズキ・フロンテクーペ及びフロンテ71、ホンダ・ライフ、翌年スバル・レックスなどが登場、ボディ形態も2ドア、4ドアに加えてクーペフォルムも加わり、スタンダード、デラックス、スポーツタイプと多彩なラインナップが確立していく。
 なかでもホンダ・ライフには国産4サイクル・エンジン初のコックドベルトによるカム駆動方式とバランスシャフトを組込んだ新技術で登場、その後に他社の製品に波及していく。
 1970年代はレジャーブームと言われ、軽自動車にもレジャー向けに特化したモデルが70年に一斉に発売された。オープンのダイハツ・フェローバギー、幌型のボディのホンダ・バモスに加えて四輪駆動のスズキ・ジムニー、72年にホンダのライフ・ステップバンも加わり軽の世界をより拡大した。

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