
1979年:ボンネット型バン商用車で低価格47万円で人気を得たスズキ・アルト |
あらゆる産業界に影響を与えたのが73年の石油ショックだった。ガソリンがリッター50円から100円以上へと跳ね上がり諸物価高騰を招き、燃費や維持費面で経済負担の少ない軽自動車需要が高まっていく。軽の扱いやすさに伴って免許保有者も女性が増え全体の約2割、500万人を突破。これを受けてか77年発売のスズキ・セルボは女性向けにターゲットを絞った。セルボは51年排ガス規制実施に伴い排気量が550ccまでとなったため、元は男性向けのフロンテクーペを拡大化したモデルだった。
排ガス規制に対応して新機構4サイクル・エンジンを採用したモデルが登場。サイレントシャフト採用の三菱ミニカ5、SEEC-T採用のスバル・レックスをはじめダイハツも新設計SOHC2気筒を搭載した。4サイクル先駆のホンダは軽の生産ラインを米国向け大型二輪車に切り替えたため乗用車のみ一時撤退、77年に商用車をTNアクティとして登場させたが、エンジンは大胆にも大型二輪車の水平対向4気筒1100ccをちょうど半分に割ったものがベースだった。
軽の増加により73年10月より車検制度が開始され軽の需要が下がりかけたが、79年にスズキ・アルトが価格47万円で登場して軽の人気を盛り上げた。アルトは乗用車フロンテの物品税を回避するため後部に荷物室を持つ商用車としたもので、俗に言うボンネット型バン=ボン・バンの先駆となり爆発的売れ行きを示して、他社も乗用車のボン・バン化を図った。
80年の軽自動車販売台数は140万台を突破、1980年代はボン・バン効果により、再度の軽ブームとなった。地方需要の増加により冬季使用に便利な四輪駆動車が乗用及び商用車のラインナップに加えられていく。81年には軽商用車のハイゼット、サンバー、キャリイ、ミニキャブ各車のトラックはもとよりワンボックスのバンに設定され商用からレジャーまでこなせる万能車となった。ボン・バン系は83年からのアルト、レックスが同時に先陣を切り、その後は全社のモデルに採用されていく。四輪駆動車になっての大きな変化は、ホイール径が地上高確保のためか、それまでの10インチから12インチに大径化されたことが挙げられる。
技術革新はさらに続き83年以降、小型車のターボブームが軽の世界にも到来、三菱ミニカ、スバル・レックス、ダイハツ・ミラにはじまり、85年のアルトにはインタークーラーが装着され各社も追従する。そうしたなかで三菱は他社製品との差別化を図り、87年、ミニキャブに新開発のSOHC3気筒にスーパーチャージャーを搭載、軽トラック初のタコメーター装着車となった。乗用車のスーパーチャージャー化も見られ、スバルは87年型レックス乗用車にECVT、翌年にはインタークーラー付スーパーチャージャーを搭載、ボディもオープントップルーフを採用するなど至れり尽くせりの装備を盛り込み、価格も100万円を超えて注目を集めた。
エンジン開発では三菱がミニカ用に軽自動車用では初の気筒あたり5バルブDOHC3気筒ターボ搭載のスポーティカーDANGANを市場投入、スズキのアルト・ワークスやダイハツ・ミラTR-XXとともに若者たち垂涎のモデルとなった。

1988年:スーパーチャージャー採用の豪華モデル、スバル・レックスVX |

1988年:軽乗用車界に復帰したホンダの第1弾トゥデイ |

1993年:室内の高さを増して新しい軽のイメージを確立したスズキ・ワゴンR |

1992年:ミッドシップとガルウイングドアで夢を与えたマツダAZ-1 |

2003年:広い室内を独特のフォルムで表現したダイハツ・タント |
89年4月から消費税導入により商用車にも乗用車並みの課税がされることになり、ボン・バンの特典がなくなり、各社は乗用車を主軸に開発していく。翌90年に軽自動車の規格が排気量660ccに拡大、全長も10センチ伸ばされて3.4メートルまでになった。軽三輪及び四輪の規格は1951年に排気量が4サイクル360cc、2サイクル240ccまでとされた。当時は回転ごとに爆発する2サイクルのほうが4サイクルよりも馬力が大きいという理論がされていたが、実際の走行試験で大差ないことがわかり、55年にサイクル別の規格が撤廃された。三輪、四輪ともに全長3メートル、幅1.3メートルまでという二輪車と同じ車体寸法であったが、車両検査導入で軽の利点がなくなることから76年1月以降、排気量550cc拡大化にともない長さ3.2メートル、幅1.4メートルにされ、特に全幅拡大は必然的にシートの大型化となり快適性が格段に向上した。
そうした流れのなかで、商用車アクティを投入してきたホンダも各社の軽ボン・バン市場に88年に新型車トゥデイを登場させた。当初はアクティ用2気筒550ccエンジンを搭載したが、排気量660cc拡大化により、米国向け大型二輪車の水平6気筒ベースを半分にしたSOHC3気筒に換装、これが現在に至るホンダ軽自動車用エンジンのベースとなっている。マツダも89年にスズキからのエンジン・シャシー供給を受け、独自スタイルのキャロルを復活させ人気を得た。
標準仕様車をベースにした変わり型モデルの開発も実施され、三菱はミニカのルーフ部分を高めたトッポを90年に発売、スズキは翌年にアルト・ハッスルを発売した後に93年にスズキ・ワゴンRを投入して軽自動車独自のジャンルを築いた。95年にはダイハツがムーヴ、97年ホンダがライフを投入して同様の市場を確保していく。
軽自動車の多様化にあって、憧れの英国調スポーツカーをテーマに開発されたのがスズキ・カプチーノでアルミパーツを各所に用い受注による手組生産がされた。同時期にホンダはNSXと同じミッドシップによるビートを発売、さらにはマツダもミッドシップながらガルウイングドアのAZ−1を発売、スズキへの供給車はキャラと呼んだ。いずれも2人乗りで軽自動車の高性能スポーツカーとして憧れとなった。
軽自動車の規格が98年に改訂され、衝突安全性能が重視され全幅1.48メートルの新規格ボディ車に切り替えられ、各社が続々とニューモデル群を市場投入した。例えば新型ボディに加えて、スズキはアルトにDOHCリーンバーンエンジンにCVTを組み合せるなど環境に配慮、2002年にはレトロスタイルのアルト・ラパンが加えられる。ワゴンRもスポーツ志向のスティングレーが加えられた。ダイハツもミラを熟成させるとともに独特のフォルムを持つ女性用のタント、男性用にはスポーツカーのコペンを登場させた。ホンダはライフを女性主体とし、男性用にはザッツを経てゼストを市場投入。三菱はトッポBJを経てeKワゴンのヒットで再度トッポを登場させている。スバルはプレオとともにイタリアンデザインのR1、R2及びステラを生んだ。乗用車とともにワンボックス車が乗用車仕様に仕立てられてスズキはエブリイ、ダイハツはアトレー、ホンダはバモス、三菱はタウンボックス、スバルはディアスワゴンを送り出した。

2006年:スタイリングと実用性で進歩的な三菱i、電気自動車も市販予定 |
環境面に配慮した軽自動車ベースの電気自動車はダイハツが1965年から開発を進め、70年には万博での大量採用。また軽三輪集配車が牛乳店などに配属され、実用的な研究が続けられた。その後の99年にはハイゼット電気車が市販型で登場。2006年にはハイゼットのハイブリッド仕様車が型式認定を取得。スズキも万博でキャリイを実用化、1997年にはエブリイワゴンEVを開発、99年以降は天然ガス車を開発、2003年には軽自動車初のハイブリッドであるツインを生んだ。
三菱では2006年に市販開始したミッドシップの斬新スタイル車iをベースに、リチウムイオン電池の電気自動車iMiEVを実用試験中であり、09年夏の市販をめざすなど、軽自動車の新しい方向性を示している。
また近年では団地内でのカーシェアリングも盛んになりつつあるが、日産は軽自動車の販売以前に軽サイズの2人乗り電気自動車ハイパーミニを製作して神奈川、京都などでレンタカ−や無料貸し出しなどの実験をしており、軽のサイズが最も実用的であることを世間に示していた。
自動車の黎明期を振り返ると、憧れのクルマが欲しいものの普通車は金銭的に手が出ないので、軽自動車で我慢するという購入動機が多かった。だが普通車が容易に入手できるようになると、地方において公共交通機関の利用減により鉄道やバス路線の整理統合などが実施される事態を生み、家族の個人個人にクルマが必要となって一家に数台が当たり前となった。そうした際に購入価格と維持費の安い軽自動車の存在がクローズアップ。他方では農業、商業の仕事用として軽商用車は不可欠の存在になり、間接的ではあるが世の中に大きく貢献していることになる。
そして通勤、買い物、レジャーなどへの使用に際して、普通車を凌ぐ各タイプの軽自動車たちが出現、特に近年の新規格ボディ車では安全面でも普通車なみになった。安全で環境に最もやさしいエコカーとしても軽自動車が最も有効な存在と手段であるのは、だれもが認めるところだろう。