
鉱山などで使われたニューコメン機関
出典)The 4th edition of Meyers Konversationslexikon. |
今につながる内部燃焼エンジンは、ドイツが生んだ3人の先駆者によって世に広まり、ガソリンエンジンを動力とする自動車の歴史は大きく動き出した。4ストロークのガソリン機関をゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハが商業ベースにまで高めている。2ストロークの内燃機関にこだわりを見せていたカール・ベンツも、4ストロークエンジンの素性の良さに注目するようになり、1885年に三輪車を完成させた。「動力を備えた乗り物」、モトールヴァーゲンだ。翌年にはダイムラーが、世界初となる四輪自動車を送り出している。
内部で燃料を燃焼させて動力を取り出す内燃機関を動力とする自動車は、ドイツから生まれた。が、その前に蒸気の圧力を用い、これを機械的エネルギーに変換する原動機、そして蒸気機関を利用して自走する自動車のご先祖があったことを書かないわけにはいかない。自動車史に第一歩を記したのは、フランス製の三輪自動車だ。ベンツとダイムラーが、今につながる自動車の先駆者として名を刻んだときよりも120年近く前に遡る。日本では江戸時代半ばの1769年、日本の元号では明和9年だった。
同じころ、ヨーロッパでは産業革命が起こり、工場制機械工業の幕が開けた。口火を切ったのはイギリスだ。これにフランスが続いた。燃料の科学的なエネルギーを燃焼という過程を通して機械的なエネルギーに変換する実用的な熱機関を初めて人々に知らしめたのは、イギリスのトーマス・ニューコメンだと言われている。炭坑を掘ると発生する大量の水を排出する作業に使うニューコメン機関を1712年に開発し、石炭の時代を招くとともに蒸気機関の礎も築いた。
ニューコメン機関は、馬の代わりに蒸気機関を使って鉱山などの水を汲み出す大気圧機関である。回転軸の代わりにテコを置き、その両端に蒸気ピストンと水ポンプ・ピストンを設け、水を沸騰させて作った蒸気をシリンダーに導くことによってピストンを動かす。この後、シリンダーのなかに水を吹きかけて蒸気を冷やすと水に戻る。このときシリンダーのなかに生じる真空減圧によってピストンが元に戻るという仕掛けを考えついた。
自動のつるべ井戸だから往復運動を回転運動に変えることはしていない。が、熱を力に変える蒸気機関の商品化、その第一歩がこのときに印された。1733年に特許が切れたが、そのときには100機以上のニューコメン機関が鉱山などで使われたと言われている。
ニューコメン機関に改良を加え、熱効率を高めたのが、日本でもよく知られているジェームズ・ワットだ。ワットはグラスゴー大学の構内に店を構え、実験器具の修理を行っていた。ニューコメン機関を修理しているうちに、ワットは復水器を使い、外部で冷やす方法を考えつく。ひとつのシリンダーのなかで熱い蒸気と冷たい水の両方を扱うのではなく、冷却器を別に設けて排気を冷やすほうが効率はいいことに気がついたのだ。この方法ならシリンダー内部を高温に保つことができる。
ワットは1769年に支援者のローバックとともに特許を取り、1774年には会社を設立してワット式蒸気機関の製造を開始している。また、ピストンの往復運動を回転運動に変える機構を追加することにより、蒸気を注入するときに押す力も動力として利用できるようにした。冷えた蒸気が縮むときの引きの力だけでなく押す力も使って効率を高めたが、この考え方を発展させ、シリンダーの両側から交互に蒸気を入れ、押す力も引く力にも蒸気圧を使うことができる複動機関を開発している。1782年のことだ。
同じ時期、フランス人のピカールとワズブローによって往復運動を回転運動に変えるクランク・コンロッド方式が考案され、特許を取得した。最終的にはワットもこの方法を採用し、汎用蒸気機関は大きく伸びていくのである。ワットを有名にしたのは蒸気機関の成功だけではない。蒸気機関の出力を表す単位として馬力(ワット=W)という単位を作った。
ちなみにワットの蒸気機関は、大気圧機関の粋を脱していない。これは蒸気圧を高めると爆発事故の危険性が高いと考えたからだ。だが、ワットに続いて登場したリチャード・ドレビシックは高圧蒸気を利用する方法に目を向けている。これにより機関の大きさを大幅に小さくできるようになり、機関車や蒸気船などが誕生した。これ以降、一気に産業構造が変わり、蒸気機関の発展とともに石炭も全盛期を迎える。

世界で最初の自動車と認められている蒸気式の三輪自動車
出典)『自動車の世界史』エリック・エッカーマン グランプリ出版 |
さて自動車に話を戻そう。7年戦争に敗れ、軍事力を強化していたフランスの軍隊の砲兵大尉だったジョセフ・ニコラ・キュニョーは、重い砲車を引っ張るために蒸気動力を利用した巨大な運搬車を考案した。フランス陸軍から依頼され、ブレガンとともに2台の運搬車を試作している。人を運ぶのではなく大砲を引っ張るために開発したものだが、これは世界で最初の自動車と認められている蒸気式の三輪自動車だ。1769年に第1号車が完成した。が、欠点が多かったため1771年に改良型の第2号車を製作したと伝えられている。
キュニョーの設計した大型運搬車は、自らの動力で推進し、ドライバーが運転を行う。そのため世界で初めての自動車を開発した人物として歴史に名を残すことになった。この運搬車は全長7.2m、全幅2.3m、ホイールの直径1.65mもある大きなもので、4人の兵隊が乗れ、時速9.5キロで自走できる設計となっている。
前輪(1輪)の前に50リッターほど入る大きなボイラーを置き、ここに入れた水を蒸気として利用する。2つのシリンダーに送る蒸気の量を制御することによってシリンダー内にあるピストンを交互に動かす。蒸気を左右のシリンダーに送ってピストンを動かすが、クランクシャフトではなくラチェット装置を使ってそのまま前輪に動力を伝えた。これが大きな特徴だ。シリンダーは単動だが、左右のシリンダーを連結させることによってピストンの戻しを行う。
アイデアを数多く盛り込んでいたが、装置が重すぎたために舵が利かず、城壁に激突したと伝えられている。ボイラーなどを後方に設置し、前輪を操舵だけに使えばもう少し実用性は向上しただろう。ともあれ、世界初の自走式運搬車として人々の記憶に留められた。
これに続く19世紀は内燃機関の時代だ。それまでにも多くの内燃機関が考えられ、試作されてきたが、実用化には至っていない。一気に動き出すのは石油が採掘され、その精製が産業として動き出す1850年代からである。が、その発芽は19世紀初頭に見られるのだ。航空機の父と言われているイギリスの貴族、ジョージ・ケーレーは、飛行機を飛ばすためにガス燃料の爆発を利用したエンジンを考案した。また、水の蒸発に頼ることなく動力を発生する熱空気機関にも着目し、1807年に特許を取得している。
今まで述べてきたように、蒸気機関などは、機関内部にある気体を機関の外にある熱源によって加熱したり冷やしたりして、膨張、収縮させ、熱エネルギーを運動エネルギーに変える方式だ。水や蒸気などの作動流体は機関の内部に閉じ込められており、外で火を焚くと熱は機関のなかにある水や蒸気に伝わるために外燃機関と言われている。

複動2ストロークのガス機関であるルノワール・エンジン
出典)『自動車の世界史』エリック・エッカーマン グランプリ出版 |
外燃機関に対し内部で燃料を燃やし、動力を取り出すのが内燃機関だ。蒸気釜を設ける必要はない。ピストンやタービンを使い、火はシリンダーのなかにある動作流体のなかで焚く。小型化、軽量化しやすいし、熱効率もそれなりによかったので各国の学者やエンジニアがアイデアを競い、19世紀の後半に一気に開花した。
1823年、サミュエル・ブラウンが産業の動力源として使える内燃機関の特許を、世界で最初に取得している。ガスのような気体を空気と混合し、大きな容器のなかで爆発させ、発生した圧力を器外に逃す。そして薄くなった気体が冷えると負の力が発生するので、それを利用してピストン型エンジンを回した。ブラウンは石炭ガスを使用して製品化に成功したが、爆発した力を十分に利用していないため効率は今一歩に留まっている。だから蒸気機関を追い抜くまでには至らず、すぐに見放された。
翌年には、フランスの物理学者サディ・カルノーが熱機関の動作についての理想的熱力学理論を発表し、注目を集めている。カルノー・サイクルと呼ばれるもので、熱が動力となる率はどれほどになるのかを数理的に表した。
1830年代になると内燃機関の点火に対する萌芽が見られる。イギリスの実験物理学者のファラデーは、電磁誘導の理論をまとめ、発表した。ただし、電気は未知の世界だったので、当時は冷ややかな目で見られている。再び脚光を浴びるようになるのは19世紀末からだ。電磁誘導によって発生させた電気火花は、内燃機関の点火用に最適だった。また、モーターや発電機に採用され、新境地を切り拓いている。きめ細かい改良や新技術の発見なども手伝い、電気点火方式は20世紀に黄金期を築いた。
今につながる実用的な内燃機関の基礎を築いたのが、ベルギーのジョセフ・エティエンヌ・ルノワールだ。1860年、蒸気に代えて石炭から取ったガスを用いたガス燃焼式内燃機関を開発し、発表している。点火はファラデーの考案した電気方式で、電池を電源とした。これを感応コイルによって昇圧し、プラグの先端に火花を飛ばすのである。このルノワール・エンジンは複動2ストロークのガス機関だった。ピストンが一往復すると2回の爆発を起こす。蒸気機関並みにスムーズで、静粛性も高い。ルノアール・エンジンは賞賛を浴び、内燃機関に対する人々の関心と興味を一気に引き上げている。
その2年後の1862年、フランスのボー・ド・ロッシャが内燃機関の効率を上げる具体策と4ストロークエンジンの理論を記した論文を発表した。彼は今までの理論とはまったく逆の論法で、高圧縮にして、そこで火をつけたほうが熱効率を高められると主張したのである。
この理論は多くの学者から冷笑された。が、これを現実のものとしたのがドイツの発明家、ニコラス・オットーだ。まず照明用のガスを燃料とする内燃機関を設計し、1876年には4つの行程で燃料からエネルギーを作り出し、動かす4ストロークエンジン(オットー・サイクル)を完成させている。4ストロークエンジンの実用化にめどがつき、一気に広がりを見せた。このオットーサイクルに改良を加え、さらに実用性を高めたエンジニアがゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハだ。
1サイクルをクランク軸の1回転、ピストンの上下2行程で行うのが2ストロークエンジンである。動力を発生する行程が1回転に対し1回と、4ストロークエンジンの2倍なので、同じくらいのサイズでも大きな出力を出しやすい。また、シリンダー壁に設けたポートによって吸・排気できるなど、構造がシンプルだ。
1881年、イギリスのデュガルト・クラークが発明し、特許を取った。それまでは使ってしまったガスの多くをピストンによって排出し、その後で新しいガスを供給するシステムを採っている。クラークは掃気法を用いて、新しいガスで使い古したガスを押しのける方法を思いつき、実用化に成功したのだ。そのためクラーク・サイクルエンジンとも呼ばれている。このアイデアを発展させたのが、イギリスのジョセフ・デイが開発した弁なし機関のクランク室圧縮2ストロークエンジンだ。掃気、排気、吸気と、3つの孔をシリンダー壁に設け、今につながる2ストロークエンジンに大きく近づくメカニズムとした。
クラークと同じ時代、ジェームズ・アトキンソンも独創的な熱サイクル・エンジンを次々に開発し、注目を集めている。まずひとつのシリンダーのなかに2個のピストンを向かい合わせに置き、1回転で1回の爆発を行うエンジンを発明した。これは2ストロークと4ストロークの両方の魅力を備えたエンジンだ。これに続き、圧縮行程と膨張行程を独立して設定できる機構を持つ高膨張比サイクル・エンジンを世に送り出している。限りなく4ストロークエンジンに近く、熱効率も群を抜いて高い。
膨張比を高くすることにより、供給された熱エネルギーをより多く運動エネルギーに変換できる魅力的なエンジンだったが、リンク機構などが複雑だったためトラブルも少なくない。また、高出力には向かないとされたため、エンジンの主役とはならなかった。
しかし、半世紀後の1947年、アメリカのラルフ・H・ミラーが吸気バルブの開閉時期を調整することによってアトキンソン・サイクルの機能を発揮するミラー・サイクルを開発している。自然吸気では高出力を得づらいが、ミラーは過給機と組み合わせて高出力を手に入れた。忘れ去られたエンジンと思われていた幻のアトキンソン・サイクルが復活したのである。
ミラーの発表から半世紀後、この思想を受け継ぐエンジンが日本の自動車メーカーから登場した。マツダのV型6気筒エンジン、KJ−ZEM型は過給機と組み合わせている。トヨタの1NZ−FZE型直列4気筒は自然吸気エンジンだが、モーターも動力とするハイブリッドだ。技術は一日にしてならず、100年の時を経て幻のエンジン技術が日の目を見たのである。