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シリーズ 米国拠点のキーパーソンに聞く
グローバル時代を生きる多様性マネジメント

新興国台頭による市場拡大、国境を越えたパートナーシップ、働き方の多様化、マイノリティの登用など、多くの企業はダイバーシティ(多様性)に富んだ企業環境におかれている。本シリーズでは、各社米国拠点のキーパーソンへのインタビューを通じ、多様性に対するマネジメントの考え方や取り組みについて、現地での貴重な体験談等を交えて紹介する。


【第3回】 Mitsubishi Fuso Truck of America, Inc.

オープンコミュニケーションで組織改革

ブルーム氏は、26年間、商用車業界を経験、中でも在米日系商用車ブランドでのマネジメント経験が評価され、MFTAのトップとして就任。三菱ふそうトラック・バス株式会社(三菱ふそう)のセールス・アフターセールス本部長であるカイ・ウーヴェ・ザイデンフース氏も「ブルーム氏のリーダーシップの下、MFTAはさらにビジネスを発展させ、ブランド力を強化していくことができるだろう」と絶大な信頼を置いている。MFTAに入社して2年。外部から就任した同社の社長として、どのような改革を行ってきたのだろうか。ブルーム社長にお話を伺った。

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トッド・ブルーム氏
Todd Bloom

シラキュース大学パブリックコミュニケーション学科にてマーケティング・広告の学士号取得。1984年から1997年までイタリアのトリノに本社を置くイヴェコのアメリカ支社、イタリア支社、イギリス支社にて、物流、マーケティング、オペレーション等の業務に携わる。その後1997年にいすゞに入社、アメリカン・イスズモーターズ・インクの副社長、ゼネラルモーターズ・イスズ・コマーシャルトラックのマーケティング担当副社長、イスズ・コマーシャルトラック・オブ・アメリカのマーケティング&フリートオペレーション担当副社長を歴任。

2010年7月にMitsubishi Fuso Truck of America, Inc.(MFTA)に社長として就任、現在に至る。

◆MFTAは1985年にアメリカ市場に参入しました。その後の変遷について教えてください。

ブルーム:三菱ふそうは日本で1932年に創業、1985年にアメリカに進出し、2011年に25周年を迎えました。アメリカ市場参入当初は中型トラックを販売していましたが、現在では小型トラックを扱っています。2004年にはダイムラーグループの一員として新たな出発をしました。その後、リーマンショックの影響で経済状況が悪化、市場全体がとても厳しい状況となり、中小企業のオーナーたちもトラックへの投資は控えるようになりました。2009年の売上高は、リーマンショック前の2007年と比べると75%も落ちてしまいました。2010年には25%上昇しましたが、まだ過去最高レベルの売上高には追いついていません。

しかし、われわれはこれからも成長していきます。なぜなら、三菱ふそうの優れた顧客理解力、そしてその顧客の期待に常に応える姿勢があります。その証となるのが2011年に行われた、ブランド別商用トラックの顧客満足度調査で、三菱ふそうは堂々の3位でした。

現在、ダイムラーのトラックグループには、メルセデスベンツ、三菱ふそう、そしてフレートライナーの3ブランドがありますが、各ブランドが占める売上高は三菱ふそうがトップで40%、次にメルセデスベンツで38%、そしてフレートライナーが22%です。三菱ふそうはダイムラーに対し、3つの重要な強みを提供しています。それはアジア市場での強み、軽量トラック市場での強み、そしてHEVテクノロジーの強みです。三菱ふそうは業績の面でも、ダイムラーグループにはなくてはならない重要な位置を占めているのです。

2011年、われわれは商品ラインナップを一新しました。これから市場は伸びていきます。テクノロジーもどんどん進化していきます。われわれもアグレッシブに成長していきます。

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◆アメリカにおける三菱ふそうブランドの差別化ポイントはなんでしょうか。

ブルーム:三菱ふそうというブランドの価値、それは「ランニングコストの低さ」です。私のバックグラウンドはマーケティングですので、その観点からお話すると、この点はいかなる場でも徹底して繰り返し顧客にもディーラーにも伝えていかなければならないメッセージです。

例えば営業を行う際、営業マンはiPadの営業ツールを顧客と一緒に見ながら具体的にコスト計算をし「ランニングコストの低さ」を強調します。

「あなたのドライバーは年間何マイルくらい走行しますか? 30,000マイルですね。トラックのライフサイクルは何年くらいですか? 7年ですね。ディーゼル燃料のコストは? 1ガロン5ドルですね。トラックにかけるメンテナンスコストはどれくらいですか? 200ドルですね。トラックを何台持っていますか? 10台ですね。」

このような調子で数字をどんどん入力していくのです。

「三菱ふそうのトラックは他のメーカーよりも3,000ドルも高いじゃないか」と言う顧客がいたとします。そんなとき、このコスト試算を一緒に行うと、「競合と比べ、7年間で18,687ドルものコスト削減ができる」ということがひと目でわかります。ですから私は冗談で、「3,000ドルしか違わないのですか! うちのトラックは18,687ドルものコスト削減ができるわけですから、うちも値上げをしなければ!」と笑って言うことができるのです。説得力があるでしょう?

つまり、われわれのメッセージである「ランニングコストの低さ」をいつなんどきでも貫かなければならないのです。もしわれわれがこのメッセージを掲げながら、それに見合わない商品を市場投入してしまったら、ただちにブランドの信頼が脅かされてしまいます。どんな素晴らしい商品でも、どんな素晴らしい会社でも、どんな素晴らしいディーラーでも、明確なメッセージとそれを伝えていく首尾一貫した道のりがなければ意味を成しません。

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◆ブルーム社長は、米系以外の商用車メーカーで経験を積んでこられました。ドイツが親会社の日系メーカー三菱ふそうのアメリカ社の社長というポジションは、どのような点が魅力だったのでしょうか。

ブルーム:私の商用車メーカーでの経験はフィラデルフィアで始まりました。イヴェコというイタリアに本社を置く会社です。イヴェコには1997年までの14年間勤めたのですが、1989年にEUが統合された際には、イヴェコのワールドワイドマーケティングを任されヨーロッパに渡りました。その後、アメリカに戻り、アメリカンイスズのマーケティングのヘッドとして採用され、同社には2010年初頭まで勤めました。そしてその年、MFTAに入社し、社長兼CEOに就任しました。

MFTAには、大きな機会があると感じたのです。ちょうど三菱ふそうは商品ラインナップを一新したタイミングで、私はそれら新商品の展開を任されることになっていましたので、大きなチャレンジでした。また、私は日系商用車メーカーでの経験もありましたし、三菱ふそうのカルチャーとの相性もとても良いと感じていました。さらには、三菱ふそう、そして三菱グループが持つ長い歴史と伝統は、アメリカのみならず世界中で尊敬されているものですから、MFTAの社長という機会は私にとって大変エキサイティングなものでした。

三菱ふそうというブランド、そして同社の代表的なトラック、キャンターという名前は、ブランド認知度の高さはもちろんのこと、「信頼性」や「耐久性」、そして「顧客へのコミットメント」を象徴するものでした。それはとても特別なことです。商用トラックにとって、この信頼性と耐久性という要素は非常に重要なものです。

◆三菱ふそうがダイムラーグループの傘下となった際、2つの大きく異なる文化を統合する鍵となったのはどんな要素でしょうか?

ブルーム:私が三菱ふそうに入ったのは2年前ですので、この2つの大きく異なる文化の統合は当時は外部者として見ていました。文化統合に際し、まず問いかけるのは次の点です。

“異なる文化は、障害となるのか機会となるのか?”

機会としていくためには、オープンなコミュニケーションが絶対的に必要となります。

三菱ふそうのCEOはアルバート・キルヒマンですが、彼はコミュニケーションを非常に大切にしています。工場や営業拠点を訪れ、従業員たち一人ひとりと会話をしています。文化統合でも組織運営全般でも言えることですが、まず組織が向かうゴールや目的について、すべての従業員が理解し、行動できるようにすることが大切です。価値観がグローバルに共有されることで、企業としての強みが一層強化されます。ですから、出版物でも、プレゼンテーションでも、年次総会でも、あるいは普段の職場でも、常に価値観を隅々まで浸透させていかなければならないのです。われわれが直面しているチャレンジについて、その事実、対応策、従業員の貢献などすべてをオープンにコミュニケーションします。

グローバルな環境において非常に大切なのは、異なるものを理解する能力、異なるものを併せる実現力、そして受容力だと思うのです。これらの要素を最大限活かし、グローバル市場の各地域に適応させ、グローバル全体で底上げしていくことが大切なのです。そのためには、密接かつオープンなコミュニケーションを欠かしてはいけません。

◆ブルーム社長がMFTAに来られてから、どんなチャレンジがありましたか? また、特に何か変わったことはありますか?

ブルーム:私は、ずっと米国以外の企業で働き、海外でも9年間仕事をしました。その経験がありましたので、現地採用のマネージャーと本国の本社との間の関係性をとてもよく理解していました。ですから、私は現地スタッフのマネジメントやオペレーションの運営のみならず、本社との重要な橋渡し役となることができました。特段、チャレンジだと感じたことはないのですが、本社とのコミュニケーションについては意識して強化するように努めました。この点が私が三菱ふそうに来てから変わったことでしょうか。

何らかの課題・問題を持っている場合、国境に関係なく密接な対話の継続に努めています。解決に向けた良好な関係構築を行うためには、やはりパーソナルなレベルでの人間関係が必要だからです。今日のビジネス社会は、非個人的になりがちですが、ビジネスのすべては個人間の関係づくりに行き着くのです。トラックを販売するのもそうです。同僚との交流もそうです。われわれ現地と日本本社間の関係づくりも同様で、個人レベルの関係づくりから始まるのです。

ですから、努めて、オープンコミュニケーションを促進するようにしています。

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